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社員インタビュー

INTERVIEW

  • 執行役員
/2014年中途入社
「自分で決める」教えを胸に。執行役員までの道のり。
登山賢士

レンジャー部隊の父、焼肉屋のマネージャーから学んだこと。

私の父は自衛隊のレンジャー部隊に所属していて、家庭の教育方針はかなりサバイバルでした。父には中学生まで敬語でしたし、週末にキャンプへ行けば、ナイフ1本を渡されて「まず自分の箸を作れ。作れないなら飯は食えない」と教わるような環境です。その根底には「甘やかさない。自分の力で生きろ」という強い想いがあり、私たち3人兄弟は18歳になったら200万円を渡されて家を出る、というルールがありました。
そのような中、高校生時代、私の価値観を大きく変える出会いがありました。ギターを買う資金を稼ぐために始めた焼肉屋のアルバイト先で出会った、マネージャーです。彼は「俺たちのライバルはディズニーランドだ。お客様に“非日常の体験”を提供するのが仕事なんだ」と常に熱く語っていました。その中で、経営者、責任者になれば自分の考えを多くの人に伝えられるということに魅力を持ち、「経営」というものに強い興味を抱くようになりました。
18歳で家を出る時、大学の学費も生活費も、その200万円で全てを賄う必要があったため、昼は正社員として働きながら、夜間大学の経営学部に通うことを決意しました。

失敗で背負った借金90万円。ホームレス生活で気づいた、本当の“豊かさ”

大学4年の時、「社会の役に立ちたい」という想いから、友人と事業を立ち上げました。看護師である母の話から着想を得て、入院患者様向けのお洒落な衣類を企画したのですが、事業は頓挫。結果的に2人で90万円ずつの借金を背負うことになりました。卒業後は、借金返済のため、和歌山の旅館に住み込みで働き、1年足らずでなんとか借金を返済しました。
その後、「本当に困っている人のことを知りたい」と考え、ダンボール2つを持って3週間ほど、ホームレス生活を体験しました。しかし、そこで出会った人たちに「毎日やりたくもない仕事のために満員電車に乗っている人たちの方が大変そうだ」と言われ、価値観が根底から覆されました。彼らは彼らなりのコミュニティと生き方を持っていて、私が一方的に「助けたい」と思っていたことは、ただの思い上がりに過ぎなかったんです。この経験を通して、物事を多角的に見ることの重要性を学びました。

見つけた新たな挑戦の舞台。次は私が、仲間と共に輝ける場所を創る

札幌に戻り、東名に中途で入社しました。そこからはまさに破竹の勢いでした。持ち前の負けん気と、お客様のことを第一に考える姿勢が評価され、入社からわずか2年半でサブマネージャーに昇格しました。これは異例のスピード出世です。
しかし、喜びも束の間、すぐに大きな壁にぶつかりました。サブマネージャーになったことで、部下は全員が年上で、全員が社歴の長い先輩という状況になったのです。彼らとの人間関係やマネジメントは一筋縄ではいきませんでした。
さらに、札幌支店でのキャリアパスにも限界を感じ始めていました。当時の札幌支店では、サブマネージャーの次はいきなりマネージャーで、そのポストは長年変わっていませんでした。つまり、私がこれ以上昇進するためには、そのマネージャーが退職するのを待つしかない、という状況だったのです。
「このままでは成長が止まってしまう」という焦りと、「もっと大きなフィールドで挑戦したい」という想いが日に日に強くなっていきました。そんな燻っていた時期に、当時の営業本部長であった日比野から、「お前、退屈してんだろ?」と声をかけられたのです。その一言が、私のキャリアを大きく変えるきっかけとなりました。
名古屋本部へ異動したことは大きな転機でした。「まるで別会社に来たみたいだ」と感じるほど、理念が浸透していたんです。「お客様を大事にするには、まず従業員を大事にしないと」という日比野の言葉に心から共感し、「この人と一緒に働きたい」と強く思いました。
今、私が目指しているのは、社員一人ひとりのエンゲージメントを高めることです。会社の理念に共感し、「自分ならもっとできるはずだ」という健全な下剋上精神を持って、自分と会社の未来を信じられる、そんな仲間を増やしていきたい。私自身、熱い想いを持つ人たちに何度も道を切り拓いてもらいました。だから今度は私が、仲間が活き活きと輝ける場所を創る番だと思っています。東名は、失敗を恐れずに挑戦できる会社です。皆さんと一緒に働ける日を楽しみにしています。